火事に遭った話

 
以下は1996年1月7日に記録した、その前日の火事の話です。

  昨晩午前2時ごろ帰宅したところ、アパートが燃えていました。

 車を玄関につけたところ、守衛が火事で上に上がれないというので、車を降りると確かに煙が見えます。運転手に車を離れたところにとめるように言って、気をつけながら駐車場をあがっていくと段々煙が濃くなってゆきます。3階ぐらいがピークでした。
 そこを抜け出て、6階からエレベータホールの階段をあがっていくと途中で煙とにおいを不審に思って様子を見に来た我が家のメードがおりてくるのに会いました。まだ通れるからすぐに下におりるように言い、まだ14階の部屋にいるという家族を連れ出すためにあがっていくうちに真っ暗ななかで階数がわからなくなってしまいました。住居表示のプレートを手で触ってもよくわからかりません。「この辺かもう一つ上だ」と思って離れようとした扉の向こうから何やら声がしました。「すぐに逃げなさい」と英語で叫んで、もう一度耳をすますと部屋の中からする声は家内の声でした。
 部屋に入り、家内に「今ならまだ逃げられるから降りることにする」と言いました。
 二歳の娘をベッドから拾い上げて左手に抱き、懐中電灯を右手に持って、貴重品だけ持って部屋の外に出ました。向かいの家のドアをたたきましたが応答がありません。もう逃げているのかいないのか、一刻を争うだけにあきらめ、まだ通れると思った階段を降り始めました。さっきよりも煙が濃くなっていて、懐中電灯の灯も通り抜けないくらいになってきました。やはり6階からは階段をあきらめ駐車場にでて辛うじて見える柱をたよりにおりてゆきましたが、何とか呼吸ができるぐらいでした。
 何とか地上にたどり着いたのが02:30ぐらいでしょうか。回りをみると外にでているのは数家族です。はやく残りの人を助けにいって欲しいと言ってももだれも登って行きません。

 02:45ぐらいから03:00ぐらいの間に続々大型7台小型5台計12台消防車が到着し、消火作業を始めました。幸い家のすぐ向かいに大きな消火栓があり、すぐに水が出始めました。通りは消防車で一杯です。外からみていると駐車場からもうもうと黒い煙が立ち上っています。我々のすぐ後から数人の人が顔を真っ黒にしておりてきましたが、もう今となってはこの煙を通り抜けてくるのは無理でしょう。上に残っているしかありません。消防士が数人上に上がっていったようです。建物の入り口に近づくと熱気と煙で息ができず、もう入れません。
 25階(建物は31階建)で誰かがベランダで懐中電灯と白い布を振っているのが見えます。
 私の懐中電灯でその部屋を照らして気がついていることを伝えました。荒川区に住んでいたとき防災用に買った100mぐらいはとどく強力な懐中電灯が頼もしく思えます。

 30分ぐらいで火は消えたようでした。4:40ぐらいから消防車が一台、二台返ってゆきます。煙を吸って倒れた人が数人救急車で運ばれて行きます。
4:10分ごろ「もう部屋に戻っても大丈夫だ「と警察の人から話がありました。ただし「まだ煙が残っているうえに刺激臭がするので、子供は行かないほうがよい」と言われました。
 私ももう一度一人で14階まで登り、窓をあけて家のなかに残った煙を出すようにし、またあけておいた玄関の鍵を掛けて下に降りました。
一階に降りると、機械室が水浸しで黒こげになっていました。受電変電設備から火が出たようです。コンクリートで隔離された部屋になっており、延焼は防げる構造になっていますが、煙がエレベータホールに流れてしまったようです。
 もう大丈夫だと思い運転手を家に帰しました。

 戻ってもよいといわれても再出火の危険もゼロではないでしょうし、おかしくなったところから二次災害の起こる危険もあります。暗いせいもあって戻る気がしません。一部の人は近くのホテルに部屋をとってそちらに行ったようでした。アパートの向かいのホテルがロビーを開放してくれたのでみんなそちらで休んでいます。
 明るくなるまでは外にいることにし、150mぐらい離れたところにとめたあった車をホテルの駐車場に持ってきて止め、その中で休むことにしました。空腹を感じたので、近くのセブンイレブンで水とパンを買ってきて食べ、まだ外にいる人達にも配りました。

 5:30ぐらいになって急激に睡魔が襲ってきたので、もう部屋にもどって荷物を作ろうということになりました。車で駐車場の最上階までゆき、あとは私が娘を抱き、妊娠10ヶ月の妻をつれて14階までもどりました。
 部屋にはまだすこし煙がのこり、すすけた感じですが無傷です。床にはすすがつもっているようでたちまち足の裏が真っ黒になりました。幸い水は出ました。
鏡を見ると顔も真っ黒です、手のについたすすが洗ってもとれません。疲れきった私は外にでる気にならず、とりあえずとばかり、ベッドに倒れ込むとそのまま寝てしまいました。

 明るくなって家内が先に起きて外で聞いた話では、向かいの御宅は一部始終にまったく気付かず寝ていたそうです。一部の人は気がついたときにはもう消防士があがってきていてもう鎮火したからもう降りないようにいわれたそうです。
 私の見た感じ全世帯数が50戸ぐらいのうち外に逃げていたのが20戸ぐらい、気がついたが下に逃げなかった、または逃げられなかったのが15戸ぐらいで、残りの15戸ぐらいはまったく気が付かなかったのではないでしょうか。
 救急車はサイレンを鳴らしていましたが、消防車はほとんど鳴らさずに来ましたし、20階から上では自分のところで起こっている騒ぎかどうかわからないでしょう。下のほうは廊下を人が通ったりする声でいつもと違う雰囲気を察したでしょうが、上のほうでは煙やにおいに敏感な人は気付いたかもしれませんが、そうでなければ、気付きづらかったのでははないでしょうか。

 現在電気がないほかは平静で、外から見ても外壁がすすけているくらいで何があったのだわからないでしょう。内部のエレベータホールなどは随分すすけていて、床は真っ黒ですが、ダメージは機械室だけのようです。そういう意味で機械室の配置は煙の流れを別にして設計どおり防火面で機能したようです。エレベータホールに繋がる扉が閉まっていれば煙の侵入は少しは遅かったかも知れませんが、パイプスペースは機械室から繋がっていますので完全に隔離することは難しいでしょう。
 しかし火事がどこかの部屋から出ていたらどうなったかわかりません。娘の顔を見ながら運が良かったとしか思えない今の気持ちです。もし私の判断よりも煙が濃くて途中でまかれていたら倒れていた可能性も十分あります。
 私の帰るのがもう15分遅かったら階段を上がれず、家族は降りられたかどうかはわかりませんし、様子がわからず下の私も落ち着いていられなかったことでしょう。また早く帰っていて部屋にいたら私自身も様子がわからず、どうしていたかわかりません。さらに煙のなかを上がっていって何階かわからなくなったときに、うろうろして無駄に時間を費やしたり、すっかり慌ててしまうことになっていた可能性も十分あります。家のメイドが早く気付いたことも含め、結構めぐり合わせがあるものです。
 結構冷静なつもりでしたが、普通の階段が使えると思っていたためか、非常階段の存在をすっかり忘れていました。急ぐことを優先し濡れタオルも作らずに外に出てしまいました。反省することも多いです。

 部屋は一応無事ですが、電気がないのでエレベータも動かず14階まで10ヶ月の家内を登り降りさせられないので、しばらくホテル住まいするつもりです。

■後日談■
 電源車の到着によりホテル住まいは結局一日で済みました。その後新しい機械室もでき、防火設備も整備されて雨降って地固まりました。引っ越すのも面倒なのでそのまま住んでいます。

 


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