Over the rainbow

books2.gif

雨季の終わり十月の末のある日、雨上がりの明け方、通勤の車の中からふと目を外に向けるとパトムタニの平地に虹がかかっているのが見えた。180度、半円に全く欠落のない綺麗な虹だった。

books2.gif

数えてみると確かに虹は七色だった。虹が十のマイナス四乗からマイナス五乗センチメートルの間の波長を持つ可視光線の連続スペクトルであることはもちろん知っている。しかし連続に変化しているはずの光の帯が確かに七色で数えられるのだ。

細い光の帯の端から名前のついている色の種類を並べてみると七つあったのか? 細い帯を七等分してみると違うと認識できる色の種類が適当な太さで並んだのか? それともラッキーナンバーに分けたのか? いや虹の七色がラッキーナンバーなのか?

連続に変化する虹の色を七つに分ける力は人間の優れた能力であることに気づく。一日を朝、昼、晩に分け、さらに二十四時間でわける。音の波形を時分割して階段にしてしまう。ありとあらゆる人間の知恵をゼロと一にまで分解してしまう。序数、量子化、デジタル、人間が進歩してきた過程においてこの能力が大きな役割を果たしてきたことは間違いない。

大昔、迫り来る捕食者かもしれないものの大きな動く影を見て、逃げる逃げないという二値の判定をなしえたものの末裔が今栄えている。

books2.gif

でもね。時々僕らは忘れているのさ。彼女の身長は百五十六センチメートルと言われたって、それは百五十六センチぐらいだということにすぎないことを。のびたり縮んだりしているのは彼女だけでなくものさしだって同じことだ。それに百五十六センチメートルという言葉で表現しているもの自体が実世界では数学的な点ではなくある幅を示すに過ぎない。オングストロームの単位まではかってゆけば分子はいつも震えている。素粒子は確率でしか居場所を言えない。君が目で見ようと光をあてた瞬間その力の作用で彼女の身長はちょっと縮んでしまうかもしれない。そしてアインシュタインが教えてくれたように車のなかにいる僕が外に立っている少女の身長を測ったら、彼女は自分が測ったのと結果が違うと主張するだろう。

156センチメートルと156.0センチメートルの違いをもちろん君は知っているはずだ。でもときどき忘れていないだろうか。156.4某センチメートルを156センチメートルにし、156.5某センチメートルを157センチメートルにしているのももしかしたら僕らの浅知恵にすぎないのだろう。浅知恵が156.6センチメートルと156.1センチメートルのどちらが156.4センチメートルに近いかということを忘れさせてしまう。

そう、虹が七色に見える僕はもういろんな意味で人間の文化や知恵、本能、遺伝子によって作り込まれたロボットみたいなものなのかもしれない。人間の意識を潜在意識に比べれたら氷山の一角だというが、きっとそんな比喩ではすまないのだろう。自分がなぜこのように認識してなぜこのように考えるのか、自分のことなど何も知らないに等しいのだ。単細胞生物が自らのことを何も知らないの(だろう)と同じように。

人間はその能力でここまで来たが、これからどこへ行くのか、行けるのか。黄色い煉瓦の道はどこへ続いているのだろうか。

books2.gif

そんなことをぼんやりと考えて空を眺めているうちに、朝の太陽の光と熱が虹を大空にすこしずつ溶かし込んでいった。

この十年で、ウィパワディー=ランシット通りの沿道にはずいぶん建物が増えた。アユタヤまでの道筋で、大空の四半分を切り取る虹を見ることはだんだん難しくなっていくのだろう。

  books2.gif


駐在の風景へ戻る