第1回

不幸せを数えたら

  

 先々週末、ある人材育成コンサルタントのゼネラルマネージャーをしているタイ人の五十代の女性と食事をしました。
 「主人はいつも言っていますし、私もそう思いますが、『節約しよう』とか『タイがタイを救う』とかいうキャンペーンも、しばらくしたらみんな飽きて無駄遣いを始めるでしょう。」

 そういう呑気な状況ではないのでは、と、私はこのC さんという人の言葉を意外に受け取りました。Cさんはパイナップルのプランテーションを南部にもち輸出は好調だそうです。半分趣味のようなこの教育の仕事も順調のようですから余裕の程度が違うのかとも思い、「それも使えるお金がある人に限った話じゃないのですか?」と聞いてみました。
「いいえー、みんな十分お金はもってますよ。もちろんそうでない人たちもいますが、もともと貨幣経済にあまり関係のない地方の人たちにはあまり影響はありませんし。工場労働者も地方の農村に行けば食べるものに困ることはないんです。」
「お金持ちと農民についておっしゃる意味はよくわかりますが、だとすると深刻なのは誰なんでしょうか。」
「ビジネスマンです。中間層という人たち。」

 あなたはビジネスマンの範疇にはいらないのですか?と尋ねそうになりましたが、私のみじめな英語力も、どうもこの彼女の「ビジネスマン」という言葉には「いわゆる中間層」とでもいうような「規模も歴史も中途半端なそれこそ付け焼き刃のなまはんかなビジネスマンたち」というようなニュアンスが含まれているらしいことを感じとり、言葉を飲み込みました。

 タイ経済の問題は不良債権や対外債務の膨張から流動性の問題、信用収縮へと深刻度と緊急度と不安定度を増していると思いますが、こんな彼女の話しぶりを聞いていると、タイのビジネスマンはまだ事態を楽観しているのか、それともある意味で真実を見ているのか、わけがわからなくなるような気がします。

 確かに多くの会社は存続の危機にたたされています。生きた心地もしないかたが多いのは厳然たる事実です。毎週のように聞く失業や自殺のニュースには暗澹たる思いです。
 そんななか経営数字や経済統計に表れないものや人はどうなのでしょうか。経済は通貨価額による統計数字で表現されますから、貨幣経済へのかかわりかたの大小で経済的幸不幸のプレゼンスの大小が決まります。考えるとこれは人間の頭数の世界とは全く別の世界です。ディスクリートに人間の幸せ不幸せの「数」を数えるといったいどうなるでしょうか。もちろん間接的な関与も含めれば産業連関を通じてかなりの不況の影響があるはずです。この辺の研究、シミュレーションもあるのでしょうが、通貨単位で測定しているうちはこの「幸せ不幸せの数」を知るのは容易ではないでしょう。

 バンコク周辺の人口は国民の約15パーセント、その地域の経済活動が付加価値の52パーセントを生み出しているといいます。アユタヤですら市場で見かける人たちの顔色がバンコクで見る人たちのそれとなんとなく違うように思うのは、私の気のせいでしょうか。

 (了)

 

 


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