第3回

10%の民主主義(2)

  

 私が駐在をはじめた91年当時、バンコクの高速道路からはバイヨークタワービルがそのか細い鉛筆のようなシルエットで他を圧してその高さを誇っていました。しかし今はその隣のバイヨーク2が倍の高さで偉容を誇っています。近年のバンコクの都市化をこの二つのバイヨークタワーが象徴しています。

 さてそのあか抜けた都会のバンコクの若いビジネスマンをはじめとする中間層は5年前の騒乱や昨年の憲法をめぐる動きのなかで、日本のマスコミなどにも、「経済的に台頭する事によって発言し、近代的民主主義をタイにもたらそうとする勢力」として肯定的に扱われることが多かったと思います。政治と経済の話をごっちゃにしてもいけないとも思うのですが、昨年の状況はそうでした。新しい政権と新しい経済勢力と民主主義が、旧来の利権とコネの政治がもたらした今日の不透明な政治と経済的不振を打破するような理解が日本人の中にも広まりました。が、私にはこの説明ににはどうしても違和感がありました。

 バンコクの中間層のホワイトカラーやビジネスマン は時代にマッチした感覚はもっているかもしれませんが、全体をおしなべてそれほど「自らの存在の社会的意義を考え、歴史に対する責任を持ち合わせている人たち」という印象は受けません。そもそも今の経済の破綻を招いたのは彼らの行動もその一因です。某銀行や某半導体製造業者の不祥事は古いタイプの利権争いのもたらしたものとは違うと思います。この半導体製造会社の粉飾決算は昨年「日経ビジネス」に「Wall Street Jounarl」の解説記事の翻訳が載っていましたのでお読みになったかたも多いでしょう。信じられないような不正経理を平然とやってのけるホワイトカラー達が重い罪に問われないのです。「かつてタイにおいてホワイトカラーが罪に問われたことはなかった」というWall Street Jounalの記述にはタイ経済の歴史に疎い私は驚きました。

 モラルにかけるこれら経営者たちにその反省はあるのでしょうか。そしてこの体質は、若いサラリーマンたちにおいてどれくらいの違いがあるのでしょうか。簡単に儲かるからという理由でと株を買ったり、過大なローンを組んで車を買ったり、上がっていく給与に実力を過信して地道な勉強や努力を怠った姿。そんな人達が見ずからの責任を棚に上げ政治に責をを求めるのは、ある意味では思い上がっているようにも私には思えました。地方の農民たちの目に彼らがどう映っているでしょう。

 タイに過剰に資金が流入した原因をBIBFや他国の投資家の責に還元することも可能ですが、だれにも防げなかったこの事態の責任の一端が自分たちにもあることを認識しないで、首相や政権を批判することは無責任でしょう。昨年のチャワリット首相の迷走はまさに、彼を追い出そうとしていた彼らの自身の鏡に映った姿ではなかったのかと思いました。「タイではつねにだれかのせいなのである」という同じWall Street Jounalの記述はあまりにも寂しいものがありました。
 さて翻って我が日本のビジネスマンはいかがなものでしょうか。

つづく

 

 

 


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