第7回

チャチャイ氏の死去に思う

  

チャチャイ政権

 先週国家発展党党首だったチャチャイ氏が78才の生涯を閉じました。ある新聞にはタイの「一つの時代の終わり」という見出しがありました。その記事にはチャチャイ氏の死去が同族が支配する政治の終わりを記すものだとありましたが、本当にそういうことを意味するのでしょうか?

 チャチャイ氏は1988年の総選挙の後、8年間にわたって首相を勤めたプレム氏が引退することによってある意味では禅譲的に誕生しました。それから'91年2月のクーデターで失脚するまでの2年半は一つの時代を形成するには短いようにも思います。

 岡崎前日本国大使の言を借りるならば「畢竟、環境に恵まれていたのである」ということだそうです。ソ連の影響力の縮小を背景にベトナムがカンボジアから撤退するなか、プノンペンのフンセン政権を認め「インドシナを戦場から市場に」というスローガンを掲げました。こうして地域の緊張が緩和し、折からの投資ラッシュで経済は急成長、政治は民主的な政党政治に復活と、順風満帆の船出の政権であったということでしょう。

 ベトナムの介入の末に成立したフンセン政権を認めたことや、経済優先の実利政策、また後に腐敗政治を追及されたことにより、当時日本の知識人などの論評にはあまり好意的でないものも見られたように思います。東南アジア情勢に疎かった当時の私も非常に功利的な政治家であるという印象を持っていましたし、それがタイという国に対する印象でもありました。


経済ブーム

 私が新会社の設立に奔走していた'89~'91年当時はまさにチャチャイ政権の時代に重なり、プラザ合意以後の円高を脱出する日系企業の、いわゆる5円族の進出ラッシュの後期と云えるでしょう。BIBF認可直前のタイは工業団地、オフィス、コンドミニアムなどが逼迫していました。もちろん道路は渋滞、電話回線は入手できず、国際電話は回線を奪い合いの状態。狭い港には貨物とコンテナがあふれ通関手続きは混乱し、いたるところコンジェスチョンが極まっていました。まさに過熱のピークにあったと思います。その頃のブームはそのあとの不動産ブームとは確かに違うものであったと思います。

 しかし今思うと、確かに当時のタイ国には明るい雰囲気があったのではないかという気がしてきます。長く共産勢力の脅威を外部から感じ、国内では独裁政治と流血の騒乱を経てプレム政権が築いた安定した政治、そして離陸し急上昇を始めた経済が新しい時代を予感させたことは事実でしょう。'91年2月のクーデターはそんな時代の変化に対する旧勢力の(もしかすると最後の)揺り戻しであったということもできましょう。そういう意味でチャチャイ政権は確かに、それまでのタイの政治や経済の終わりの始まりであったと云えるのでしょう。


何が終わったのか?

 では彼の死去が何かの終わりでしょうか。バブル経済やマネーゲームの終焉なのでしょうか。地方の大ボス、ジャオポーたちの時代の終焉なのでしょうか。汚職にまみれた利権政治の終焉なのでしょうか。変わったものがあり、変わっていないものがあります。チャチャイ政権を終わらせたクーデターの口実はまさに腐敗した利権政治でした、国家発展党の今後は予断を許しませんが、今実質上リーダーはチャチャイ氏の姻戚関係にあるコーン氏とも云えます。ポルポト氏も逝き、何らかの総括をしたい気持ちもわかります。確かに変わりつつあるタイの政治経済ですが、常套句とはいえ「一つの時代が終わった」と云う前にもっと良く考えてもらいたいような気もします。

 

 


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