第11回

罰金二千バーツ

  

ポイ捨て現金!

 最近「ゴミのポイ捨て罰金二千バーツ」という看板が街のあちらこちらに掲げられています。オペレータクラスの月収の半分近くですからたいそうな金額の罰金です。所によってはテントを張ってそこに警察官が詰めていますし、その周りは特にパトロールにも熱が入っています。でこぼこで油断して歩いていると足を取られてころんでけがをしかねない危険な歩道にも、取り締まりの成果か確かにゴミは見当たりません。
 バンコクでは「橋の欄干に座ってはいけない」とかルールも微に入りうるさく、ポイ捨てももともと許されていたわけではありませんが、アジア大会に向け力を入れているのでしょう。「いよいよバンコクもシンガポールのようになっていくのか」と嘆く日本人も多いようです。

 

さまざまな社会の掟

 タイに来て郊外に遊びにいったときなど、時に自動車の窓からゴミを外に放り捨てるような人がいるのには驚きます。観光地への街道筋など道端にゴミが散乱してせっかくの風景がだいなしになっているところもあります。一度汚してみないときれいに保つ必要性に気がつかないのが社会というものかもしれません。

 日本でもつい二十年ぐらいまでは、みんな中距離電車に乗れば座席の下に飲み食いしたゴミを、多少取りまとめはしてもそのまま残して行くならわしでした。都心の駅構内の線路上には当時はまだバラストが敷かれていて、その上に散乱した吸い殻は雨に打たれ崩れて石にまとわりつき、いったいどう掃除できるのかという有り様でした。

 日本でもかつては美化キャンペーンは盛んでした。しかし法律上は別として、今も昔も「罰金○万円」という刑罰が強調されることはなかったように思います。「お上の権威と罰金」とは異なる「周囲の目と暗黙のプレッシャー」も強制力があります。私は欧州での生活経験はありませんが、ドイツでは冬の日に自宅の前の凍った道路で他人がころんでけがをするとその家の人が責を問われるそうですし、スイスでは窓辺の花が枯れていれば注意されると聞きます。「お上の権威と罰金」や「周囲の目と暗黙のプレッシャー」に加え、こういう「明示的な地域社会のルールと相互干渉」など、社会の規範にもいろいろな種類がありますが、現実は多かれ少なかれこれらが組み合わさっているのがそれぞれの地域の社会の掟でしょう。

 

個人と社会

 シンガポールの美麗さは強制され管理された美しさとして嫌う人が多いです。批判の多くは「規制そのものとその背後にある管理主義」を問うのですが、一部の日本人の発言のなかには「刑罰を適用しなければ公衆道徳を維持できない人々のモラル」を問うようなトーンが聞こえるのが気になります。
 日本人が比較的公徳心に富むと信じて疑わないとするならば、その根拠を何に帰結するのかよく考える必要があります。個人のモラルの高さに言及するのなら、そのモラルも、実は社会の強制によって形成されたものであることに謙虚になる必要があるでしょう。

 こういう日常生活的な規範については、だれもが過去のその人の人生において、両親や教師などの他人、あるいは社会や集団によってルールを強制されてきていますが、私の観察するかぎり、かつて強制されてきたそれらよりもさらに高度な規範を自ら適用できる人物はきわめてまれです。

 バンコクに来て最初の一年間ぐらい我が家では可燃物、不燃物、缶や瓶を分別してゴミ袋を作っていました。しかし、白状しますが、今では台所系でひとつ、居室系で一つのゴミ箱にいろいろなものをまとめてしまっています。最近バンコクではゴミの分別収集が始まり、アパートのゴミ集積場所にも可燃物と不燃物を分けて入れるように大きなバケットが用意されています。現実にはそれに従っている人は少ないようです。あるとき私はまぜこぜの我が家のゴミをそこに捨てにいったのですが、わけられたバケットの前でわけられていないゴミ袋を手に持ったままはたと迷い、自分を試されているように感じました。罰金二千バーツも他人事ではないのかもしれません。

 (了)

 

 


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