第24回

学歴社会を考える(5)

  

学歴至上を超える日

 一般に過度な学歴重視に反発する人が居るとしたら、まず学歴をもっていない人たちがそうであると考えられます。しかし、そういう層は考えをまとめ表現する能力を訓練されていませんし、発言の場もほとんどありません。学歴主義における形式主義や、あるかもしれない矛盾」を指摘して抗議の発言をする力を持っていないのが現実でしょう。

 そもそも学歴主義に始めに異を唱えるのどういう人たちかといえば、それは高学歴の人たちのなかにいる疑問をもつ人たちであったり、低学歴でも社会的に発言力をもつようなステータスを得た人たちとは言えないでしょうか。そのどちらもがタイにおいては多くはないのが現実でしょう。高学歴者のなかにも実力の伴わないものがいて、低学歴者のなかにも優秀な人材がいる事実に基づけば、学歴と実力のアンマッチの問題は例外やばらつきがどれほどあるのかという議論に過ぎないのですが、それ以前の背景として、日本のように九割が高校に、四割が大学に進学するような社会と今のタイでは状況は全く異なると言うほかないでしょう。

それこそ現状多くの人達の知識や能力が産業社会、情報社会の人材ニーズに応えられない状態であるなら、前回も述べたように高学歴者の知識や応用力に不満があっても相対的に学歴は有用な判断指標であるといわざるを得ないとも言えます。

 かつて日本において大卒がエリートだった時代は今よりも学歴が重かった歴史もあると言えば事実に反するでしょうか。将来タイにおいて国民の多くが中等高等教育を受けているような状況が実現すれば日本人が漠然とコミットしている実力主義=反学歴至上主義が勢力を得てくるかもしれません。今タイと日本における学歴に対する意識を比較するにこのような点に対する考慮も必要でしょう。

〈了)

 

 

 


目次に戻る