第28回

自殺(下)

  

  

対応力・適応力

 筆者はよくタイ人と日本人のストレスへの耐性について、小さくすぐに一杯になってあふれてしまうコップと、容量は大きいがいつも口近くまで一杯になっているコップという比喩を使いますが、これはストレスという洪水を蓄える貯水池と言い換えても良いかもしれません。どちらもすぐあふれて簡単に堰が「切れ」やすいことではあります。

 このストレスの貯水池の水を汲みだしたり、蒸発させたり、流入を防いだりすることは、日本や欧米では「処世訓」や「生き方」や「こころ構え」という形で多く語られ、さまざまな方法論が人口に膾炙しています。

 タイにおいてそのような生き方を説く啓蒙教育が必要であるというのが、前回述べたビジネスマンの論旨だったようです。それは単なるストレスマネジメントではなく、急激な人生の変化への精神面の対応でしょう。

 マレーシアの日系製造工場でかつて良く聞かれた突然発生する集団ヒステリーの話を思い出します。途上国の農村の若者たちが、昨日まで自然と共にゆったりと南洋の生活をしていたのが、一転して今日から千分の一分を時間管理の単位とする生産ラインの仕事につく。ここには大きな断絶があります。それなりの教育はある従順な人々ですから理解して納得し、たいした違和感もなく平然と生産ラインは動いていますが、無意識の部分でストレスは蓄積して行くはずです。いつかこのストレスの影響がヒステリーとなって噴出しても不思議ではありません。

 社会や生活が変り、頭では理解しても心は全部ついていけないということであれば、かのビジネスマンの言う啓蒙教育もどれほどの効果があるかはわかりません。が、現代の社会情勢が、強く生きられる人間が一人で自然に育つほど優しくはない以上、考慮に値するでしょう。

〈了)

 

 

 


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