第39回

戦場にかける橋(3)

  

 

 泰緬鉄道は完成後の最初の運転で何度も脱線したと言います。とはいえエンジニアリングとしての視点でみたとき、当時の状況でこの短い工期でこの鉄道を完成させた事実はある面で「成果」として語られたのではないかとも思います。事前調査で五年かかると言われた工事を一年半で完成させ得たのは、大量の労働力もその要因でしょうが、連合国捕虜のもっていたそれも含めた「技術」と大勢を組織的に使う運用力も必要であったはずです。

 このメクロン鉄橋が完成の後まもなく連合軍の攻撃によって破壊され、鉄道は機能を止めやがて戦争が終わりました。あまり適切な言い方ではないかもしれませんが、その以降泰緬鉄道は事業やエンジニアリングの事例ではなくなり、戦争における虐待の事例として歴史に刻まれることになりました。記録は物事に一方向から光をあて、照らされている面について歴史を語ります。しかし、あるいはだからこそ歴史から何かを学ぶためには学ぶ者自身にいろいろな面を見ることが必要です。

 バブル経済の頃の成功談も同様です。当時経済誌などに載った経営戦略の成功例を解説する多くの記事は現在再読に耐えるものではなくなっています。今日バブルの歴史に戦犯の罪状を語るメディアには過去の戦果報道への反省は感じられません。

 さて、全体の愚かさのなかにも断片的に見せる日本人の優秀さというものがあります。二十年来、バブルを経て今日の不況においても、効率よく管理された製造現場は日本の競争力の源泉として未だに信じられているところです。将来「下士官は優秀だったが戦略は最低であった」となぞらえられるかもしれません。あるいは、光の当たりかたによっては、その優秀な製造現場そのものも過ちとして語られる「戦場にかける橋」になる可能性もあります。。

〈了)

 

 

 


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