第75回

比較文化?(9)

  

 

 日系企業に就職しているタイ人には日本式のものに対するコミットメントを求めることができるし、当人たちにその気持ちもあるだろうというような書き方を前回しました。しかしそれも程度の問題で、実際のところ日系企業に就職してくる高学歴者の大部分にこういう意識を期待できるというものでもないのも事実です。さらに最近日本人や日本的なものの制度疲労や腐敗が露呈するにつれ幻滅も広まっていることでしょう。一方このご時世、ビジネスマンやプロフェッショナルの目指す姿が米国流のものになるのもやむを得ないところもあります。

 しかし、日本流か米国流かは別にして、タイ人に自己変革を求めてタイ的でないものを取り込んでいってもらうのは望ましいことだと思います。たとえば貿易を含むビジネスをしているのであれば、また金融から技術まで広く国際化している今の世の中であれば、タイ人従業員にも「国際化」が課題になっているはずでしょう。「日本人の国際化」、と「タイ人の国際化」を同時に追求するアプローチはいかがでしょう。

「国際化」というのが適切でなければ「○○社の理念、スタイル」というのでもよいでしょう。どの会社にも、何かといえば「文化が違う」と言い訳する輩がタイ人日本人を問わずいらっしゃると思いますが、その議論は「われわれの追及するビジネススタイルは日本流でもタイ流でもない当社流のこれである」と言える企業文化によって止揚してしまうことです。もちろんその企業文化は世界の誰もがコミットできるような普遍性のあるものでなければなりません。たいていの会社にはしっかりした企業理念があることでしょう。それに向かって献身と努力が必要なのは国籍や役職を問わず全員に共通のことです。比較文化の悩みには企業文化が答になることがあります。

〈了)

 

 

 


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