第100回

岸辺にて

  

 

 2年後には4百余名の従業員が生産活動を始めることになるその場所を最初に訪れた時、そこは一面の田圃でした。筆者は物流担当の部長と二人、新工場の候補地に立っていました。

 どこまでも広がる水田を眺めてから、工業団地建設予定地の西側にあるチャオプラヤ河にまわってみると、原っぱの真中に意外に幅の狭い流れがあり、チョコレート色の水がゆっくりと流れていました。河のほとりに幼稚園らしき平屋の建物があって、子供たちが遊び、お坊さんが何人かいました。誠にのどかな風景。「ほんとうに一年で工業団地ができるんですかねえ」「予定通り行くと考えてはいかんと皆さんおっしゃるが」慌しい出張のつかの間、時間が止まったかのような景色にそんな会話を交わしたのでした。

 帰任が決まってからその時のことを思い出し、昼休みに会社を抜け出して団地の裏手の川岸に行ってみました。しかしどうしても11年前のその場所が見つかりません。幼稚園ならぬ小学校がありましたが、川沿いは舗装された道路で家々が並んでいます。

 思い出の風景は筆者の感傷が作った架空の記憶で、そんな場所はもともと無かったのかもしれません。ただほんの20mほどの川幅と茶色い水面だけが記憶とたがわぬものでした。

 行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。一人の日本人がこの土地に来て、そして帰ってゆく。流れる河の水のただの一滴にすぎない自分が居たその前と後で、この土地の何が変わったでしょうか。

 2年あまり続いたこの連載もちょうど100回を迎え、今日で最後となりました。これからも変わらずNNA紙は配信されアジア・ビジネスは発展してゆきます。毎週、戯言で紙面を汚すことを見過ごしていただいた読者とNNA社の寛容に深く感謝いたします。

〈了)

 

 

 


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