ジュライホテル閉鎖によせて

 もうずいぶんと前に「『7月22日ロータリー』にある『ジュライホテル』が閉鎖される」との記事が、バンコク週報に出ていました。本当にもう閉鎖されてしまったのでしょうか。「楽宮旅社」、「マレーシアホテル」と並び日本人バックパッカーご用達の(といっていいのでしょうか?)超有名ホテルの一つが姿を消したわけですね。

 麻薬売買や売春の真っ只中のいかにもそれらしい安宿がなくなることに郷愁を覚える人もいるかもしれません。これらのホテルが有名になってからは、そこに出入りすることが一つの流行に近いものになっていたことも事実でしょう。日本のテレビ番組などで紹介されることにより、そもそもの安宿に泊まることそのものが、単なる楽しむべき擬似体験に近くなっていたのではないでしょうか。バンコク週報には「そこに一泊することによっていっぱしの旅行者になった気がする。」というような記述がありました。

 日本企業のバンコク駐在員のみなさんの当地での女性とのお付き合いの中にも、時として同様の錯覚、あるいはそれが駐在期間中という期限つきであることによるバーチャルな擬似体験トリップがあるようです。バーで知り合って付き合っている女性の実家をたずねたり、同棲したりしてみたりときにそれは、すでに存在する一種の「バーチャル・リアリティー・エンタテイメント」なのでしょう。3年とか5年とかの時間を持たせたコインがきれたらゲームセンターを出て行くのです。

 駐在員であれ、旅行者であれ、またそれ以外の誰であれ、売春宿やマッサージパーラーあるいはバーの女性との交流の中での体験に魅了される人は多いようです。そういった人が多くの読み物を書いています。擬似的にではなく、また旅人としてではなく、本当に自己の現実としてその世界を体験している人はそういうドキュメンタリーの類の書を著す気を起こすことは少ないのではないでしょうか。

 しかしながら、否応なくそういう現実にはまって行くというケース以外にも、誰でも今までの自分の境遇や立場を捨てその擬似体験を本体験にすることも可能です。勇気さえ(あるいは愛が)あれば。もちろんその瞬間に体験はエンタテイメントからシリアスな現実に変わるのです。リアルとバーチャルは紙一重のものなのかも知れません。いや体験そのものをシリアスかエンタテイメントか問うこと自体が何か病んだ事のような気もします。

 とはいえ擬似体験そのものが「旅」というものの本質であれば、「ジュライホテル」にたむろしていた人々は、それがホテルが有名になる前であろうと後であろうと、またその動機がどうであろうとつまるところ「旅人」であったことに違いないのでしょう。


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