懸 念

 

 

話はちょっとさかのぼります。私がタイでのビジネスに関わりはじめて1年半ぐらいたって起こった1991年のクーデターから翌年の民主化運動にいたる動きを私は当地で第三者的に見ていました。このあたりの経緯はまだ歴史の本にはでていないかもしれませんので、すこし説明をしておきます。(私の記憶だけを頼りに書きますので、違っているところがあると思いますが。)

1991年当時政権は現国家発展党党首であるチャチャイ氏が握っていました。チャチャイ氏は12年ぶりの政党政治家の首相として、「インドシナを戦場から市場へ」を合言葉に民間主導の経済運営をおこない、おりからの1986年のプラザ合意後の円高により生産拠点移転をはかる日本資本の流入などもあり、タイ経済は活況を呈していました。

しかし国民の「飽き」と汚職批判、台頭する新興民間資本の発展などにより地盤沈下しつつある軍の不満もあって軍と対立、1991年2月に利権誘導型の腐敗した政治の排除を大義名文に軍はクーデターを起こし、チャチャイ首相は外遊にでかけようとするところをドンムアン空港で捕捉されました。軍は国家平和維持団(NPKC:National Peace Keeping Council)を設置、スントーン国軍最高司令官を議長に据えました。主体となったのは陸軍士官学校5期のスチンダ大将を中心とするグループでした。国家平和維持団は「あくまでもクーデターは腐敗した政治家を一掃し、真に民主的な政治を作るためのもの」と称し、スチンダ大将は「自ら首相に就任することはない」と明言して、国王の信任を得てアナン氏を暫定首相として行政を担当させ、憲法改正と選挙を約束しました。このアナン政権は短い期間に多くの実績をあげ、非常に評価の高いものでした。

さて総選挙となり、すったもんだの末第一党党首のナロン氏を首班とする内閣が連立政権が成立。しかし、ナロン首相は麻薬組織との疑惑が取り沙汰されアメリカからはビザを発給をとめられている人間とくれば、長くはつづきません。(どうもこの辺のいきさつはタイの歴史からは抹殺されるようです。もとい、なかったことになるようです。私自身このあたりの前後関係の記憶があいまいです。)そして紆余曲折のすえあろうことか民選議員でないスチンダ大将が連立野党の推挙を受け、約束を破って首相に就任してしまいました、いよいよ事態は風雲急を告げます。

そして野党を中心とする王宮前広場でのハンストが始まりました。そのリーダーだったのが「時に国政の目の上のたんこぶ、タイで唯一の地方自治区バンコク」の都知事を経て国政に打って出た当時人気抜群の人物、パランタム党を率いるチャムロン元将軍でした。

王宮前広場の集会はますます大きくなり、ラチャダムノン通りなどにバリケードを築いて軍は治安維持をはかりますが、このころになるとデモは群衆と呼ぶに近い状態となり、一部は軍を挑発する行為に出ました。ハンストしていたチャムロン氏は社会不安をおあり、国家の治安を脅かした容疑で逮捕され、そのうちに宝くじ公社のオフィスの焼打ちなど、群衆は暴徒と化していました。

軍は規制を突破してデモ行進をしようとする群衆を、空に向かった威嚇射撃で抑えていました。そして1992年5月20日に略奪したバスに乗った群衆がバリケードに突っ込む示威行為を繰り返しているうちについにその運転手が撃たれ、そのあとはバリケードに並んだ兵士が水平射撃を敢行。逃げ惑う群衆はロイヤルホテルに逃げ込み、サナムルアン(王宮前広場)を南に逃げました。軍は発砲を続けながら追い、ロイヤルホテルはさながら野戦病院の様相を呈しました。射殺された市民の死体は軍の車が回収してゆきました。何人が死んだかは今だにわかりません。軍は死体をカンチャナブリの山奥にヘリコプターであるいは車で運んで投棄したともいわれます。(これは噂です。)当時バンコクに集められた軍隊はバンコクに知人を持たないカンチャナブリ方面の赤いスカーフを颯爽とも巻いた精鋭部隊でした。政府の発表では死者は数十人ですが、行方不明になっている人は数百人とも千人以上ともいわれます。

戒厳令が強化され暴徒は鎮圧されましたが、おさまりません。現首相チャワリット元大将の影響化のコラート方面軍が首都を目指して進軍しているとかの情報がとび、一時は内線勃発かと思われましたが、ここにいたって報道管制も現代のコミュニケーションにはかなわず世界の衆目のものスチンダ首相も万事窮しました、そして有名なスチンダ、チャムロン両者が国王に呼ばれた説諭のシーンとなります。スチンダ首相は辞任。そしてアナン氏が再び暫定首相に選ばれます。

民間人への発砲の責任がだれにあるのかが焦点になりましたが、スチンダ陸軍大将、イサラポン国軍司令官やカセート空軍司令官などは皆表舞台を去りました。(今でも私がタイ国際航空をあまり利用しないのは、流血の事態を引き起こしたタイ空軍OBが役員会を牛耳る航空会社であり、タイ航空と聞くと口ひげをはやしたカセート司令官の顔が脳裏に浮かぶからです。)

国政に打って出てものの、チャムロンさんもパフォーマンスが鼻についたか、また流血の惨事の責任の一端が彼にもあるとと興奮冷めた市民に冷静に見透かされたか、その後の総選挙での第一党は民主党となりチュアン政権の誕生となります。

デモンストレーションが大集会、ひいては流血の惨事に発展するなかで、激しい実力行使に走ったり、バスで軍隊の作ったバリケードに突っ込んでデモ隊に向けての軍の発砲のきっかけを作ったのはどうみても理性を失った人達でした。

最初に集会していた、当時タイ社会の変容の象徴のようにいわれた「携帯電話を持った中間の知識労働者層」という人達と毛色の多少異なる「確かに正義感をもちスチンダ政権に怒っていたかもしれないが、日常抑圧され不満を持ち政府や他のエスタブリッシュメントや自分たち以外の社会のグループに対し反感をもっていて、報道を見聞きしてサナムルアンの集会に共感していわば付和雷同し、自分たちの不満の爆発としての実力行使に大義名文を与えられ得た状態の人達」が確かに存在してました。

別の例としてかつて70年代田中角栄首相がASEAN各国を訪問したころの、日貨排斥運動があります。今と異なり、確かに配慮にかける日本資本や日本人の行動があったとはいえ、実際に日本人や日系企業によって被った被害があったかどうかが議論になるような、実害に対する抗議というよりはナショナリズムによる反日運動はなぜに盛り上がったのでしょうか。

学生の論理(のみ?)にイニシエイトされた行動と違い、労働者などの一般大衆の行動は(たいへん表現が不穏当で申し訳ないのですが)「大衆が当時の抑圧ぎみの社会に抱いていたさまざまな不満を、日本資本という誘導された攻撃目標に対し、学生や学者に理論的根拠をあたえられ、インドネシアでの暴徒の田中首相襲撃のニュースを聞き、マスコミに扇動され、政治家や実業家に利用され、キックボクシングをタイで興行しようとする日本人の決定的な無神経がお墨付となって噴出させた」というストーリーは、自分の経験したタイのいろいろな階層(という表現には抵抗がありますが)の人達の言動に照らして見る限り実にスムーズに納得できます。(日本資本の態度に問題があったことや投資の流入がバランスを逸していたことも事実としてです。)

さて、ようやく話は今に帰ります。現在社会転覆などの意図を持って社会不安をもたらそうとしているグループもないことはないでしょうが、私が懸念するのはちょいと別のものです。

現在、現状に不満をいだいている人達は増えており、それらが、(私が思いますに)社会正義を装いつつ無責任でセンセーショナルなところの見受けられるタイのマスコミ(主として新聞)にあおられ、タイミング良くみんなの共通の敵が作られると、この先どう転んで行くか予断を許さないものがあるということなのです。実際は別々の対象を認識するべきみんなの不満が、共通の攻撃目標に向けベクトルを揃えるきっかけになるようなことには私は神経質にならざるを得ません。

今回のバーツをめぐる攻防から、変動相場制への移行のなかで激減した外貨準備をおぎなうためのIMF(国際通貨基金)の融資についてはその必要性の議論をしているうちはまだよかったのですが、実際に融資を受けるか受けないかという議論になったとき、IMFによるタイ国内金融政策への条件づけ(今回のVAT増税や相続税の新設の件など)がある意味で内政干渉とみなすことも可能な故、広い階層のナショナリズムに火を灯す可能性をもち、今月初めには実際にチャワリット政権を売国奴よばわりする論調さえ報道に見られる状態に至っていました。

さらに物価急上昇、人員整理、労働争議の頻発、クーデターの噂などがつづくことにより、エネルギーが蓄積され触発される危険度が高まるかもしれないというのがつい1〜2ヵ月前の私の現印象でした。

9月現在、金融危機、失業、物価上昇、チャワリット政権への不信任、新憲法草案の採択などが焦点になっています。なんといっても政治の浄化を目指したラジカルな憲法草案に賛成か反対かというのが踏絵になりつつあります。賛成は緑の、反対は黄色の、リボンをつけたりTシャツを着たりして、先々週末に両者による第一弾のデモンストレーションがありました。

実のところ7月2日の為替変動相場制以降の動きは小生の予想を越えるハイピッチで世の中が動いており、ついて行くのがやっとという状況です。新憲法草案をめぐる動きも、賛成派=緑、反対派=黄色という色分けほど単純ではなく、私もそのへんを自分なりに提起したような駄文も別に準備していますが、なかなかまとまりません。

確かにチャワリットさん退陣ももう秒読み段階かもしれません。

まあみんながチャワリット政権が悪いというように、言ってますが、経済が悪いのはとにかく海外から入ってくる資金をバブルですってしまったみんなのせい(これは防げないことであるという説もあります。私も防げなかっただろうと思います。しかしそれが一つの原因でであることには間違いはないでしょう。)ということにつきるのですが、その責任は自分たちにあるとバンコクのホワイトカラーたちは認識していないところが重傷です。(日本も同じか。誰も使いたがらないお金をもっていて何か財産をもっているような気がする錯覚がさめないのは、その夢がさめるとみんなが困るからだけなのですが。土地も株も銀行券も裸の王様といったら言い過ぎか。みなさんこれからは手を使い汗を流して本当に直接に人のためになる価値を創造するときですぞ。)

もちろんこれまでの経済政策が良かったとはいえませんが、調子の良すぎるときに苦い薬を飲むことを拒んできたのは誰だったのでしょうか? みんな自業自得です。うねりのなかで波に身をまかせなければ溺れてしまいますので、ひとり一人にとっては止むを得ないことではありますので、責めるわけにはいきませんが、これは連帯責任ということですね。

こういうことに自分が責任があるとは誰も思わないだろうなあ。(また横道にそれるけど特に日本はそうだなあ。自覚せずに行ったことに対して責任があるという教育は日本ではあまりしないからなあ。「知らなかった」とか「悪気はなかった」ということが責任回避の理由になったりするのですから。)

いままでの経済が異常だったのでそれにくれべれば、今のほうがまだ正常に近いと言える部分もあると言えるかもしれません。この緑と黄色のリボンで国民を二つにわけるというアイデアはたいへんに危ないことで、マスコミには責任ある行動が望まれます。(無理な話か) 今の情況であえて乱暴にいわせてもらうと、経済と政治はちょっと関係あるけど、タイの政権を誰が握っているかの違いとは関係ないといっていいでしょう。(だれがやっても大同小異だったでしょう。)

今の経済不調の真因は(とんでもない話はいっぱいあるにせよ)」政治腐敗とあまり関係ないですし、新憲法草案にいたってはほとんど直接の関係はないのですが、世の中ではいっしょくたになりつつあります。

バンコクの町中に緑の旗が何万も翻るようなことになれば、またしても騒乱状態に陥る可能性もあるでしょう。酒瓶持って酔っ払って緑の旗を振り回す輩がでてきたら、騒ぎはすぐそこまで来ています。(心配はご無用。そうなるときはわかります。まあ、水や食料、乾電池のストックはわが家では確認はすんでおりますが。)

ナチズムの遠い昔、いやずっとずっと遠い人類社会の起源から、程度や内容の違いはあれ、だれか悪者を作って全部そいつのせいにするってのは社会の習性ですねえ。煽るのがうまい奴がでてくるとえらいことになります。若いころは頭でわかっても実体験でそれがわかるようになったのは最近のことです。人間なかなか進歩しません。

若いうちは性急に解釈をして色を塗るのが喜びですが、歳をとってくると混沌をそのままに、からみあった紐をひとつひとつひもとくのをじっくり楽しみますが、ひとつふたつ身の回りのものを整理して自分が楽しめばおしまいにしてしまいます。

そのどちらもが罪深いことではあります。正義は尊くも正しい。しかし他の何かを正当化するものではないでしょう。

もとより新憲法草案に正義があるというものでもないでしょうし、よしんばそうだとしてもだからといって・・・ね。


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