Hard work is only way out.

    

1997年はタイ、日本、そしてアジアにとって、経済面を中心に本当に波瀾の年でした。一面では「物事がなるようになるということはあるものだ」というあたりまえのことも改めて感じました。

多くの局面で経験したことは人には危険を認識するすばらしい知恵があるということです。多くのこと、特に日本でおこっていることはほとんどが以前からは予見されていたことです。冷静な分析をする一部のひとに限らず、ほとんどの人が今日の姿を予定のものと見ることができたでしょう。こうしていたらどうなるか人々は分かるだけの知恵はもっているのです。これからどうなるか明らかなことも多いと思います。

しかし同じ局面で目にしたのは、にもかかわらずその同じ人間が、回避行動をとれずに破局に向かってしまう愚かさから逃れられないことでした。この愚かさは「うまくやってやろう」という欲と現状をかえられない勇気のなさ、そして自分を守るに良心を売ってもするモラルの欠如につきるのではないかとも思えました。

1998年はさらに混乱の年になるかもしれません。システムが機能しないときにあらわれる現象は「混乱」です。因果を調べることも責任を追求することもその意味を減じます。何かやだれかのせいにする行為は貴重な時間の浪費になって本人の致命傷になるでしょう。

私達の知恵によって明らかなことは「このままでは困ったことになる」ということが山積していることです。「わかっていること」、「知っていること」がこれほど無力で無価値なことだとはこれまでだれが夢想だにしえたでしょうか。
同時に私達は「こうしたらこう良くなる」と「知っていながら」何もしないことも自戒しなくてはいけないのかもしれません。

このコラムの見出し「知恵の限界」は「自分の考えることはこの程度だ」ということと「自らの行動の不足」に対する私の「てらい」の表現であったわけですが、どうも「知恵の限界」に見て見ぬふりをする、この弱さが世界に蔓延するにあたり、これはちと重症だと呑気に竹林の七賢(註1)を気取ってもいられない気になっています。
世界とは文字どおり世界ですが、個人も会社も国家もみんな同じということです。

経済が問題のようにとらえられますが実は世の中をちょっと違った目で見てみれば、何が起こっているのか違うものが見えてくるかも知れません。事実を標榜する情報が私達の目をあざむいていることもかなりの程度になってきています。「知らされて知っていること」が過ちをもたらす世の中になりつつあります。

ひとりで調子のよいように見える米国ですが、その国に生活する多くの人々が幸せで将来に向かい希望に満ちた幸せな人生を送っているかどうか、疑問をお持ちのかたも多いはずです。リストラに成功した企業の数々が米国の強さを象徴するのであれば、そのなかには人間を忘れて成功している企業はいつかまた破れることがあることを知らせなければなりません。経済的成功を人間の幸福から分離して一人歩きさせはじめたときから、おかしなことがずいぶんと多くなりました。私達が生きているうちにこの矛盾はかの国の人たちをたいへんな危機に導くことは間違いないでしょう。

21世紀に向けての3年間に育ってゆくキーワードは良心、誠実、希望、勇気だと思います。これは冗談ではありません。「EQ」や「7つの習慣」という本が売れるのはそれなりに理由のあることなのだと私は確信しています。

人類の歴史に語られた知恵を笑っていた現代の人々は、いまや雲の上の先人達に笑われていればまだまし、おそらくは嘆きの対象になっていることでしょう。私達は歴史を批評し分析することは得意ですが、みずからその対象になることはあまり気にしていません。しかし自らの知恵と行動が将来どう裁かれるのか、世界の子供たちの目を見つめ顧みることは大変重要だと思います。

さて身近な話題にもどれば、タイの経済ですが、やはりチュアン政権が特効薬をもっているわけでもなく、言うことはまさに前政権のコーン元副首相などが言っていた言葉と同じようなことです。しかしそれは少なくともそれにコミットすれば良い方向へ向かうという間違いのない言葉です。つまり「知恵」はあるのです。問題はコミットメントと苦しい努力が必要な実行です。金融56社の閉鎖はその数少ない例かもしれません。

今は大晦日の深夜ですが、今日は年末に急に政府によって休日を正月2日に移すことによって市場がオープンした日です。その結果を私は見ていませんが、今日をタイ政府が平日にして就労日としたのは、世界中が休みのこの日に介入を行って一時的に名目上バーツの価値をあげ、年末締の企業の資産評価の助けとすることだと思われます。信用を維持して融資を受けられるようにするために必要と考えられます。現在の不安は資金の循環という人間で言えば循環器系の問題です。深刻化すれば強い企業体質も高い生産性もたいした強みとなりません、血液の流れが止まれば強じんな筋肉も無力です。

本質と関係ないちょっとしたことで、流れが大きくかわりかねない程、こわれもの、はれもののような微妙な状況ですが、この状況は当分つづくか、近いうちにたいへんなことになるかどっちかでしょう。「(たいへんになった)韓国にくらべればタイはずっとまし」などという脳天気な台詞が聞こえたりしてます。今真剣に努力している人たちからは簡単にそんな台詞が聞こえてきたりはしないと思うのですが。

とまれ、先月半ばのチュアン首相の言葉はそれだけを抜き出せばとても印象的です。
「Hard work is only way out」
私はこの言葉に賛成です。しかし、こんな当たり前の言葉が改めて心に響くのは社会が、生活が病んでいることの証明でしょう。

(註1)竹林の七賢って誰が?


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