駐在員と酒場

 

 

 タニヤ通りという通りがあります。日本人を中心としたお客を目当てにナイトクラブやバーや料理屋がならんでいる一角です。いったいいくつお店があるのか私は知りませんが、一説には100以上とも云います。

 ここはシーロム通りのオフィス街につながる路地ということになりますが、裏手というよりはオフィス街と歓楽街が融合しているということも言えるでしょう。まっただなかにオフィスビルもあります。というわけでここは仕事絡みのいわゆる接待と称する会食や観光客のナイトライフの場であるわけです。駐在員の住居やホテルがスクムヴィット通りにあることから、これらのナイトクラブなどもそちらの方に移っていきますが、微妙な客層の違いを反映した価格設定やサービスやホスピタリティの違いがあるようです。

 さてこのタニヤ通りは日本語の酒場の看板が並んだ文字通り盛り場の雰囲気です。路地裏はごみがたまっていて饐えた匂いもして、裏手には場末の雰囲気も漂います。表には確かに美人のホステスさんたちが並んでお客様を呼んだりしています。その値段から高級クラブと呼ばれてはいますが、一部のメンバー制クラブは確かにそういうものなんだなとも思いますが、日本の感覚でそれをどう呼ぶのがいいのか私にはわかりません。〔私はメーカーの下っ端サラリーマンで、たいていの方はご存知のとおり日本では「接待」という言葉やホステスさんのいるようなクラブとはもともと縁のない人種ですから。が、いわゆる大企業の人間は皆同じように見られていることを改めて最近確認することも多いです。同じスーツとネクタイをしていれば外見から同じように見られるのもしたかのないことでしょう。)

 その通りを日本人ビジネスマンが連れ立って歩いていますが、スーツにネクタイのポロシャツやゴルフルックのようなカジュアルウェアというような格好です。平日と週末ではすこし様相は違いますが、夜も更けてくると歩いている人の顔は赤らんで、声も大きくなってきます。人通りはそれほど多くはありません。車は多いです。東京の盛り場と違うのは足許が不確かになるほどの人はあまり見ないことです。とはいえこれは客観的に見ていると確かにあまりいい気持ちのするきれいなものではありません。

 タイに滞在したり繰り返し来訪したりする人にはいろいろな人がいます。ビジネスマンもいれば休日を過ごしに来る人、またいわゆる貧乏旅行者やそのもどきもいれば、いわゆるNGOにかかわる方、留学生やなどいろいろです。なんらかのストイックな態度や価値観をもってタイにかかわる日本人、たとえば、観光客と呼ばれることに若干の抵抗を感じるような、まじめな旅行者(ってなんだ?)にとっては眉をひそめたくなる光景ではないでしょうか。

 ましてこうした居酒屋やクラブで交わされる会話にはタイの社会やタイ人ににかかわる、ぐちや言い過ぎ、時には暴言も含まれ、別にタイの何かに贔屓する心を持たない人でも常識が拒否反応を起こしても当然でしょう。日本の居酒屋で交わされる発散以外に意味があるとは思えない会話と本質的に違いがあるとは思えません。そういう意味でタニヤ通りやそこを出入りする日本人駐在が、いろいろな人のいらだちの対象になっているのも事実です。そこまでいかなくても、ホステスさんと並んででれでれしたりすることを含めてでしょう「(そんな所に行っても)面白いと思わない」とも云われることもある所以です。ある日そんな話題が盛り上がったとき「酒場は人生の縮図だからつまらないとは思わない」とおっしゃったかたもいました。

 ひとつ乱暴なそっけない言い方をすれば、駐在員にとってナイトクラブに行くというのは一人で行くのでない限りは人間関係や仕事の手続きにすぎません。ですからおもしろくないのは当然です。(かならずしも「いやでしょうがない」ばかりというものではありませんが。歌をうたうということはそれはそれでとてもいいことですし美人は確かに鑑賞に値します。(セクハラご容赦!)それにホステスさんとて紛れもない心を持つ人間ですし。)

 しかし一人で足を運ぶときには、そこで得られるような、あるのかないのかわからないような慰めにすがらざるを得ないとき、というものがあるのは事実と言えましょう。タニヤ通りのカラオケには、行かないですむ人が行きたいと思わないのは当然のことと思います。その時々、いやいや行っている人、行きたくて行っている人、そして日本からわざわざそのために週末に飛んでくる人など人さまざまですが、自分も含めその人たちを嗤うことはできないと私は感じます。

 「タニヤはあまり好きではありません」とおっしゃるかたも多いわけですが、そういうわけで、私自身はたとえ個人的にそう思っていたとしても、あるいはだとしたらこそ、人の前ではそう口にできないという畏れは感じていたいです。誰も、自分が見てつまらないものに喜びを見いだしている人を見たとき、あるいはそれを見苦しいと感じたとき、自分がその人にどういう印象と感情を持つのか、そしてその表現がどういう形になっていくのかそれはむしろ自分自身の人格が問われることだと思います。

 前述のように人によっては価値観の違いが原因でいらだつことはあろうかと思いますが、いらだちはまったくそのいらだっている個人が自分で解決すべき問題と私は思います。いらだちの原因(である誰か)にその責を求めたり、それに基づいて自分の感情表現の権利を主張するのは社会に甘えることになると思いますので控えてゆきたいと個人的にいつも自戒しているところです。

 ちょっと話はそれますが、東京に出張すると当然夜は一杯のお誘いがたくさんかかるわけで、こういうお誘いというのは嫌われていたらかからないものですから、本当にありがたいものです。で、ひととき親交を暖め良い気持ちになって、遅くの電車に乗ってホテルや実家に帰ろうとするころは、すっかりかつて自分もそうだった東京のサラリーマンに戻っています。そしてあらためて見るとよたよた人の歩く東京の盛り場や酔漢に満ちた駅のプラットフォームの見苦しさに気がつきます。酩酊した人が大勢うろつくのは日本だけだとよく云われますが、確かにすくなくともタニヤ通りよりは見苦しいと思うこのごろです・・・

 で、酒場の独り言?

 今、私が一人で飲みに行くことが確かにあります。飲みに行くのは友達を捜しに行くためという人もいるでしょうが、私の場合はたいていは気分転換か逃避(あるいはHPなどのネタ探し(笑))と自ら認識してますので、そんな時のことにはあまり触れないようにしたいと思っていますが、たとえば大きな心理的なムーブメントによって私がどこかでなにか吐露したとしても、みなさん眉をひそめる前に、なぜ私がそうしたのか「駐在員の言動」という社会的現象としてみなさんの学術的考察と「駐在員ってやつは談義」の肴にしていただければと思います(笑)。あの、皮肉やいやみじゃないっすよ。念のため。

 旅人にとって自分や自分をとりまく(とくに普段から気に入らない)日常はできれば見たくないものだということもあるでしょうし、自分の金をはらって旅に来ている以上見えないことを要求する権利はあるかもしれない。ただアメイジングタイランドの宣伝文句にのせられて来た人でなければ自分の判断で来ているわけだし、タイ国はテーマパークではありませんから、「駐在」以外のローカルのものも含め目障りなものにも若干の辛抱もしてもらわなくてはならないかもしれません。

 私の徘徊はパッポン2通りのいくつかの静かなショットバーの周辺で行われます。どれもたいした店ではありません。おいてあるお酒も乏しいですし、その雰囲気に酔うにも足りない場末の安っぽさが漂っています。(コンベント通りとかにあるような、ラグビーを中継しているやかましいイングリッシュパブなんかにはいっても、場違いもいいとこで、きっかけがつかめずになにもないうちに終わってしまいますが、ここにいると突然肩をたたかれて、欧米人が日本語で話かけてきたりします。もちろん人種偏見に満ちた喧嘩を売られることもまれにあります。)ここには日本に縁のある欧米人が結構多いです。彼らやタイ人と話していてそれこそ「人生の縮図」というような話を聞きます。バンコクは日本人に限らず多くの「人生の縮図」をもっている外国人が多いのです。もちろんそんな外国人の身の上話もはじめのうちは大変面白かったのですが・・・。

 さて、こういうとき同じ話を日本人としているときと比べて、私の思うことや受ける印象、わいてくる感情に違いがあるだろうかというのが最近の私の自問ですが、いつも酔いのせいかどうも答えが見えません。答えは頭のなかにあるのにそれを引き出しにいったパルスが神経網をつたわっているうちにそこを避けてはかえってきてしまうというような不思議な感覚です。

 お酒のせいで楽しかったような気がしていても、醒めるとあとで疲れがのこるような、まともに生活や仕事の悩みのようなことを真面目にコメントしなくてはならないようなしんどさが酒場でも増えてきました。日本人の奥さんに死に別れたスイスの老人とタイ人のおばさんが、日本でぐれたり暴走族に入っていたとか、留置所に入って身請けしてもらった歌舞伎町のママさんのおかげで更生できたとか、やくざとわたりあったとかいう話を日本語でしているのを、横であいずちをうちながら聞いているときにその疲れを確かに意識しました。まじめに飲み、まじめに「人生の縮図」にまみれようとしても、知らず知らずに体がそのしんどさを拒否しはじめているのかもしれません。だって、その疲れを癒すために(?)酒場に行っているのですからね。結局みんな話したいのは自分のことではないのかとも思います。

 飲んだり話したりしている相手が日本人ではないから、あるいは話題が日本のことでないからといって特別なことでなくなってきていて、話の内容そのものがひとごとでなくなっているようです。私にとってバンコクでの生活、バンコクで酒場に行くということが紛れもない日常になっていっていることを示しているのかもしれません。私は日本では、まず一人で外に飲みに行くことはなかったですから、バンコクでもだんだん一人で飲みにいくことが減ってきているのも合点がいくことではあります。

 一杯ひっかけながら(これは家で)書いていましたら、何が言いたいのかわからない文になりました。何も答えはありません。これからも私は惰性のように時折なじみの酒場を訪れることでしょう。

 


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